探求としての手紙
私たちnandaka初のブランドブック『nandakaを立ち上げたふたりの小さな対話集』が出来上がりました。お客様やお取引先の方、どちらもまだまだはじめましての方が多いので、ブランドの成り立ちから知っていただけたらと思い、その入口となる本として作ったものです。
オンラインショップを訪れてくださった皆さんにもぜひ読んでいただきたく、内容をまるっとブログに転載することにしました。
こちらの記事(第一章)ではnandakaを始めた背景や、手紙のどんな所に惹かれているのかについてお話していきます。
1. 探求としての手紙
堀
みなさんこんにちは。私たちは夫婦で、nandakaという名前で文具、特に手紙文具を作っています。この冊子では、ブランド自体や商品デザインの背景をお話します。
菊田
「なんだか」は私の好きな日本語で、すぐには言葉にならない思いや考えを、こうじゃないかな、ああじゃないかな、と自分自身に問いながら相手に伝えようとする時に使ったり、理由は説明できないけれど心や頭の中に不意にわいてくるものがあった時に使っています。このnandakaというプロジェクト自体もそうやって「なんだか」ふたりで始まりましたし、私たちの考える手紙の意義や価値の中心にあるものが「なんだか」という言葉に詰まっていて、とても大切にしている言葉です。
堀
そもそもどうしてこの手紙という分野に着目したかなんですけど、もともとは菊田さんが手紙を書くのももらうのも好きだというところからでしたね。
菊田
たくさん語りたいことはありますが、まず手紙を受け取る立場でいうと、私にとって手紙はもらって一番うれしいプレゼントです。
堀
お菓子の缶にいままでもらった手紙を入れてあるのを見せてくれたことがあったけど、かなりの量になってましたね。
菊田
小学校時代のものから大事にとっておいてます。時々読み返すと笑えたり、泣きそうになったり、生きるパワーをもらえます。
手紙の価値って人間の多面性がダイレクトに現れるところだと思うんですよ。個性が思いがけず溢れ出ちゃってるところがいいんだよね。もらう度に新鮮な驚きがある。こういう字を書く人なんだとギャップに驚いたり、普段の口調と違う人もいるし。一枚におさまりきらなくて全然脈絡のないデザインのカードに続きを書いて送ってくる友達もいて、その即興性とか柔軟性に性格が現れていたり、読むだけじゃなくて観察するのが楽しくて。
堀
たしかにそうだね。どんなふうに書いても自由だからこそ、受け取る側からすると見どころがすごくたくさんある。
菊田
本当に豊富な情報が詰まってるんだよね。だから時間が経てば経つほどタイムスリップ感も楽しめるし。見返すと、忘れかけていたその人との思い出だけじゃなくて、当時の流行りの言葉遣いや書き文字、文房具などもわかったりして、もはや消えてしまった時代の空気感も含めてその人が立ち上ってきます。
それは写真を見返すのともまた違った感覚で。写真はフィルムでもデータでも複製可能なものだけど、手紙って正真正銘の一点物じゃないですか。もらった自分の手元にしかないという尊さと懐かしさが両立するところが他にはない良さだと思います。
堀
そうだね、だからnandakaの製品はどれも、何十年か後に見返した時に改めて良いなと思える文具であることを目指してデザインしています。
菊田
うん、そこはとても大事にしてるポイントだよね。
手紙を書く立場からの好きな理由についてもたくさんありますが、どれから話そうかな……。すごく個人的な、だけどとても大きな理由があって、コミュニケーションにおいて最も自然体でいられる手段が手紙なんです。
私はコミュニケーションの場ではとても慎重派で。相手の話していることをしっかり受け取りたいし、自分が伝えたいこともうまく届けたい。会話のテンポよりも、一つひとつの対話の中身を重視するタイプです。一度出た言葉は消せないから、相手を傷つけないように気をつけたいし、本当に表したい感情やニュアンスを正確に伝えたい。手紙はその点、ゆっくり吟味して言葉を探すことに集中できますから、思い切り慎重になれる(笑)。
堀
それはEメールやメッセージアプリでのコミュニケーションとも違う?
菊田
面と向かっての会話よりは慎重になれますが、別の問題が発生します。冷たい印象にならないか心配で、絵文字やスタンプで表情を付け足してしまうんです。子どもの頃に周囲から「楽しそうに見えない」とか「無表情だ」とか言われたことから、表情を無理に作るようになってしまった時期がありました。それも影響しているのかもしれません。でも手紙だと自分の筆跡が表情を作ってくれている気がするのか、十分豊かな感じがするので、無理にがんばらなくていい。安心して「。」で終われるんだよね(笑)。
デジタルのコミュニケーションで絵文字やスタンプを使うのは、クリエイティブで面白い面もありますが、正確さは失うような気がします。自分で紡ぐものではなく、用意された中から選択するものだし、自分が本当に表したい感情やニュアンスからはむしろ遠ざかってしまうような時があるんです。
堀
確かに。私がここまで手紙文具を作ってきて思うのは、書くことは運動だということ。ペンを持つ手を動かしながら、自分の内側を探る。手の運動が、言葉を探すのを助けてくれるようなところがある。
よくEメールやメッセージアプリとは違ってアナログの手紙には温かみがあるというような表現を見かけます。概ね賛成ですが、手紙という手段そのものが本来的に温かみを持った媒体だということではないように思います。アナログの手紙から温かさを感じることができるとすれば、時間をかけて手で書くことによって書き手が自分自身の内側を探っていくような、別の言い方をすれば魂に近づいていくことで結果として温かみを感じられる、そういう機序なんじゃないでしょうか。
菊田
そういうディスカッションを二人でたくさんしてきたよね。私は筆がのってきた時の感覚が、運動に一番近いと実感してる。たくさん書き進めるとマラソンのランナーズハイと似たような感覚になってることがあって。頭も心もからっぽになった静かな世界で、手だけが勝手に動いているような。すごく好きな感覚です。
堀
これはあとでまた話すけども、どちらかというと私は筆不精な方だと思う。ここまで言っておいてなんだが(笑)。でもそういう人にこそ、ランナーズハイに持っていけるような、自分に合うと思える手紙文具があれば、自分を表現する新たな扉が開くかもしれない。
菊田
そうだね。そういった意味では、私たちが今作っているものはあくまで道具であり、手紙の土台なんだよね。
私もここまで長いさん(第二章参照)としての話ばかりしといてなんですが、手紙の醍醐味って文字を書くだけにとどまらないところだと思っていて。紙に色をのせたり、シールを貼ったり、書き終えた手紙を封筒に入れて、好きな方法で封をして、切手を選んで貼って…とその過程なにもかもが紙で遊ぶことだと捉えることもできます。
堀
いい道具を作って、みなさんが自由に楽しく手紙を書くことの助けになりたいと思っています。
では私たちが具体的に例えばどういう方法論でデザインしているのか?ということについては次章で話しましょう!